一言で言うならば、どの欠点を指摘しないかというに尽きます。


勘違いを避けるために付け加えておきます。これは教え過ぎてはいけない、自分で気づかせねばならない、といった「高級な」理念ではありません。


ある欠点を指摘しないというのは次のような次第です。


人間の営みである以上、どこかに欠点を見出すことはあるでしょう。ましてや学習者ならばおびただしい欠点を持っているわけです。


そうしてみると、教師はどこかで「手を打って」いる。つまり妥協点を見出しているのです。


ですから、どこで目を瞑るか(ちょっと音楽に関して使うのは変ですが)は教師の音楽の感じ方のことだと言っても差し支えない。


例えば16分音符がころぶ。ある場合にはそれを直さない方が良いことすらあります。16分音符がころぶことは良いことですか、悪いことですか?という問いにしてしまえば、答は悪いことに決まっていますね。


だから16分音符がころんでいるからころばぬように、とやかましく注意するのは簡単なことだといえる。いわば教える側から言えば安全牌なのです。


欠点を指摘する位簡単なことはありません。