タッチという言葉はピアノ演奏において、誤解された概念のもとに使われています。ふだんよく見かけるのは、繊細なタッチ、力強いタッチ、などですね。

 

ここまで書いてきたことを振り返りましょう。殊に前項を読み返してください。ピアノの機構上、鍵盤が棚板に到達するよりも前にハンマーが弦を打つことを、そしてそこにエネルギーの加速の頂点が来なければならないことを説明しました。そこで猫はピアノを弾けないという説明も可能になったわけです。

 

タッチというのは、この音の出るポイントに正確に触れる、ということです。それ以上でもそれ以下でもない。

 

曲の中には当然、優しい個所もあれば激しい個所もある。あらゆる箇所に的確な表情を与えていく、その手段の最終段階のこと(繰り返しになりますが、音の出るポイントに触れることですね)をタッチという、と理解してください。そうしてみると、あるのはただ正確なタッチであって、繊細なタッチとか荒々しいタッチ等の言葉は意味をなさないことが分かると思います。

 

絵画ではゴッホの奔放なタッチとかセザンヌの着実な、注意深いタッチなどの言い方は理解できます。しかし演奏において、この言葉を、理解しないまま乱発するのは非常に危険ですらある。評論家たちはまず、知らずに使うことを控えなければならないと思います。騒々しければ騒々しい、デリケートに聞こえるならばデリケートだ、と簡単に書くべきです。デリケートなタッチの持ち主だ、などと書かないことです。