指を強くする、これはピアノ演奏の上達に必須でしょう。さすがに誰も異論をはさみません。

 

では指の強さとは何でしょうか。これも自明なことなのでしょうか?

コンクリートは強い。鉄骨も強い。では柳の木はどうか。

 

大地震の際、たくさんの鉄筋の建物や橋、高速道路が壊れます。

他方、大昔から建っている法隆寺などの木造建築は地震で倒壊することはまれです。かつて法隆寺の棟梁であった西岡常一さんは、木は鉄骨よりはるかに強いと力説していました。

 

では鉄が弱いのかと言えばそれも違いますね。場面場面によって違うわけです。ちょっとこうした例を見ただけでも、強さといっても一括りにできないことが分かると思います。

 

指の強さという場合、まず思い浮かべるのが指の付け根です。ここがペコリと引っ込んでしまうのは弱い指だと指摘される。そして付け根を山のような形に保ってがっしりした手を作ることが最重要だと強調される。

 

ここが大きな誤解の一つです。空中で手を見てご覧なさい。指の付け根は「正しく」出っ張っているでしょう?ではピアノを弾くときにはどうして「正しい」形を保つことができないのでしょうか。

 

言うまでもなく、手に重さがかかってしまうからですね。しかし、前項までに鍵盤にはできる限り重さをかけないことこそが大切だと説明してきました。

 

結論を先に言ってしまえば、付け根の関節は山のような形を保とうとしてはいけません。「指の強さ」というのはあくまで言葉の世界です。先ほどの鉄と木のことを考えてください。

 

指の付け根の強さというのは、あえて例えればスポーツマンの膝の強さと似ているといえます。

膝を突っ張ると一種の強度は増す。天井が落ちてきたら必死で膝と肘を突っ張るでしょう。でもこれで動きに対応できるかと問えば、誰でも否定します。

 

スポーツマンの膝の強さは膝の柔らかさと不可分の関係にあります。もう一度スキーヤーの膝を思い起こせば分かりやすいと思います。

また、少し視点を変えても、昨今では指を伸ばして弾くのが正しい。現代奏法だという意見も多い。

 

私はこれに関して意見を持ちますが、少なくとも理にかなった、というよりも現実に即した見方であることは間違いありません。

 

でも、奇妙ななことに、そう主張しながらも付け根の山型だけは相変わらず否定されていないようです。

 

これはおかしい。指を伸ばして弾くということは、肩から指先までをしなやかに使い、力を無駄なく伝達するということでしょう?

山型を作って腕を波状に動かしてみてください。これで速いパッセージなどで力はしなやかに伝達できると思いますか?

 

ここでもう一度指の強さに戻れば、付け根をちょうど板バネのように使えることが指の強さだと言っても良いのです。

このバネはスキーヤーが斜面やカーブの度合いによって瞬時に膝を調節するように、音楽が要求する表情に従って瞬時に強さを変えられなければなりません。

 

瞬時に変えるというととても難しいように聞こえるでしょうが、難しいのはバネの強さを変えることにはありません。付け根をバネとして使うこと自体が慣れるまでには難しく感じるのですが。

 

殊に付け根を山にすることを熱心に実行した人にとってはそうです。でも、それですら克服できないようなことではまったくない。そういった誤った訓練をしてきた人は一時的によろよろした感覚を覚えるかもしれないのですが。

 

まあ、赤ちゃんが歩き始めによろよろします。これはいけない、と添え木をしたらどうなるか。そしてその害に気づいて添え木をはずしたら、一時的によろよろするでしょうね。そんなことだと心得てください。

 

この辺りが動きや身体の状態を文字でだけ表現する難しさです。実際にしてみせれば理解だけはすぐできるのですが。