まず、正しい指の形ということですが、丸く保つという人と、伸ばした方が良いという人に(おおざっぱに言って)二分される。また、最近ではどちらが正しいというのではなく、使い分けるのだという人も少なくないようです。わたしがざっと目を通しただけの印象ですが、公約数的には間違っていないでしょう。

 

指の形のことを言えば、丸く保った方が良い場合も、長く使った方が動き易い場合もある。

 

その観点でいうと、最近は型にはめずに弾き易いことを優先する、ごく当たり前のことを言う人が増えて喜ばしいといえる。 弾き易いだけで良いのか、という根本的問いには後で触れます。

 

しかし、それら、指の形は決まったものではないという意見をちょっと詳しく見てみるとすぐに首をかしげたくなります。

 

例えば古典の曲は指を丸くして弾く。というのも、昔は鍵盤が軽く、指先だけで弾くことが可能だったから、という意見。古典の曲は薄い音なのだと言います。この手の記述はとても多い。そう主張する人たちは、ショパン以降の曲は伸ばした指で弾かないといけないと主張する人たちでもあります。

 

では訊ねましょう。昔の鍵盤が軽く、浅かったことは本当です。でも、なぜわざわざ指先だけの動きで、弾きにくい方法で弾いたのか?

 

チェルニーの練習曲に指定されたテンポが恐ろしいくらい速いのを、鍵盤が軽かっただけで解決できますか?

 

そもそも、これは音楽にとってはるかに重大な問題ですが、古典で必要とされているのは薄い音ですか?

 

つまり、こうした疑問に答え、テクニックについて記述するのは、音楽とテクニックを分けて語ることはできないという面倒に踏み込むことなのです。いったんチェルニーやもう少し古い時代のクラマーについて、ざっと目を通してください。

 

その人たちの言うところを見てみると、作曲上、音の数が少ないことを音が薄いと称し、それがそのまま一つ一つの音の薄さだと解しているようです。

 

まったく反対ではないですか?ベートーヴェンの曲は言うに及ばず、モーツァルトでさえ、音階にせよ、アルペッジォにせよ、ロマン派のそれより1音が担っている役割は大きい。

 

古典の曲を弾く際、指は丸く保った方がよい場合が多い。これは純然たる音の要求からです。同時に肉体的な必然からだと言えます。

 

それを書く前に、もうひとつ、広く出回っているらしい大きな誤解について話す必要があります。