ピアノのテクニックについては様々なことが言われてきました。それについて色々検証してみようと思います。

 

その前に、なぜ私がこのHPを開設したのかを簡単に書いておきましょう。

 

現代のピアニストは技術的に過去をはるかに凌駕している、といった通説に大きな疑問を持つこと。それは衰えが目立つ年齢があまりに早いことにも表れています。大学を卒業したあたりから技量が落ちたと感じている人まで含めるとほとんどのピアノ弾きに当てはまりそうです。

 

もう一つは、ピアノの演奏が美しいと感じることがあまりに少なくなったことですが、これもテクニックに由来するとはいえ、私の主観だと言う人もいるでしょうからここで触れる必要はありません。

 

弾き方についてあれこれ悩む人は大変多いです。それらの幾人かの目に留まれば、そして何らかの役に立てば、という思いからこのようなページを作った次第です。

 



音楽は持っているのだがテクニックが不足している。こんな言葉はよく目にしますね。だれでも身に覚えがあるでしょう。また、テクニックはあるのだが音楽がないという言い方も同じくらい目にします。こちらも正しいでしょうか?正しいと考えた人にお尋ねしたいのです。そもそもテクニックというと速く弾くことだと、何となく決め込んでいないでしょうか。

 

アートという言葉は元々人工物という意味です。それが芸術という意味も持つようになった。つまり自然美ではなく、人工的に作られた美しさ、です。そしてその美しさを作るための手段がテクニックなのです。もちろん音楽に限りません。

 

テクニックはあるが音楽がない、という時、私たちはその演奏が美しくないと感じているわけでしょう?ではどこからテクニックはあると感じたのでしょうか。

 

音楽は無いがテクニックはあるというのは、音楽はあるがテクニックが無い、という誰にも当てはまることから反射的に考えられた、単なる言葉の遊びでしかありません。

 

速いパッセージを弾けることは言うまでもなく大切ですし、易しくはありません。では速いパッセージ以外の部分が思うようにならなかったら何が悪いのでしょう? 欠けているのは音楽性でしょうか?そういう場合もあります。しかしここでも欠けているのはテクニックである場合が多いのです。

 

速い動きは(易しくないと言ったばかりですが)比較的簡単に教えることができます。根気強く学べばいくつになっても習得できるとさえ言えます。

 

それにひきかえ、たとえばカンタービレにおいて長い響きを作り出すテクニック、あるいはピアニッシモを出すテクニックなどは困難です。

 

本当は言葉でそれを説明するのは不可能に近い。でもピアノのテクニックで検索しても、雑誌等を見ても、天下り的に断言する記事がほとんどで、言葉にする難しさを痛感している記事は数えるほどしかありません。その中から正確な記述を見つけるのはもう砂粒の中から砂金を探し出すくらい難しい。

当ホームページでは、ピアノの世界に氾濫する誤りや噂を少しでもなくそうと試みるつもりです。そのため、説明が多少くどくなりますが、辛抱してお読みください。既に書いたように、どれだけ言葉を重ねても音や身体の動きを表すことは不可能なのですけれど。

 

また、自分の中で問題だと思う項目から読み始めても一向に構いません。順を追って読んで貰おうという意図はありませんから。