自然な動作というのはどんなことでしょうか。

 

少しでも速く歩こうとすれば誰でもそうできますね。跳び越そうと思ってももちろんできる。

 

でも当たり前のことですけれど、ある一定の速度以上になると、気持ちと裏腹に体は硬直し、速度は上がらなくなります。

 

元来はそれが自然なことです。アスリートというのは、その限界を「テクニック」で広げることのできる人のことです。つまり、自然に反してというか、人為的に動作の範囲を広げているわけです。

 

私たちは自然という言葉を、知らず知らずに先天的に与えられた、心地よいものとして考えてしまっていないでしょうか。

 

スポーツにおける無駄な力、無駄な動きの排除は、きわめて難しいのだと思われます。

 

野球の落合(元)監督を知っている人は多いでしょう。彼は不世出の大打者でもありました。

 

現役の時のプレーは、一見何の力も入れず、素人の私たちから見ればだらしなくすら見えました。

 

でも彼は「コーチは口を開けば脱力と言いたがる。彼らの言うとおりにしたら打てなくなってしまう」とよく語っていました。

 

彼の言うことは別に難しくない。脱力することと、必要な力を動かすこととはまったく違うことだと言っているのです。

 

なるほど、無駄な力は無いに越したことはない。しかし何が無駄なのかを知ることがまずは大切でしょう。

 

動きそのものへの観察がないのに、力を抜くことばかり考えて、それでは何が本当に必要なのかを知ることはできません。