むかしバルトークは「ピアノを打楽器として扱う」と言いました。これはどういう意味でしょう。

 

違った尋ね方をしましょう。見出しにあるように、ピアノは打楽器ですか、と。ネットで偶然その問いに答えているサイトを見つけました。打楽器でもあり、弦楽器のような要素もある、そんな答えだったと記憶します。

 

そんな曖昧さはいけません。ここでも答えは簡単、打楽器である、と言えばよい。ピアノの発音機構はどこから見ても打楽器です。ハンマーが弦を打つ、それだけみればまことに単純なもので、他の楽器の要素なぞどこにもない。

 

最近ではようやく、ピアノの音は鍵盤の中ほど(これは底ではないという意味です)、グランドピアノの場合はアフタータッチと呼ばれるところ、アップライトではアフタータッチを感知できませんが、いずれにしても鍵盤が沈む途中で音が出るのだ、ということは多くの人が知るようになりました。

 

厳密にいうと違いますよ。アフタータッチのところではハンマーは弦にまだ触れていません。いわばそこからは(短い距離ではありますが)ハンマーは放り投げられる。純粋な打楽器とは厳密に言えばそこだけ違う。厳密さを求める人のために付け加えておきましょう。ここのところは後述します。

 

ピアノは打楽器の原理で発音することを本当に認めていくと、逆説を弄するようですが、音楽的、技術的に他の楽器と似たところにも目が行くようになります。でもそれも後述した方が解りやすいでしょう。ここではむしろピアノという楽器の一番の特徴をあげておく方が良いと思います。

 

ピアノは他の楽器の音を想像しながら弾く唯一の楽器であるということ。ここはティンパニーのように、この曲は弦楽四重奏のように、この音型はトランペットを思い起こす、そんな楽器は他にはありません。

 

金管楽器同士が、たとえばホルンが「ここはトランペットのように」あるいはトロンボーンが「ここはホルンのように」と思って吹くことは想像だにできません。ましてやホルンがここはティンパニーのように吹こう、と試みたら滑稽でしょう。しかしピアノではまったく事情が異なります。そういった想像なしに弾くくらい貧弱な演奏はおよそあり得ません。

 

バルトークが「ピアノを打楽器として扱う」と言ったのは、きたない音で構わないということではありません。ロマンティックな情緒を伴わず、乾いた音を出すように、といった意味合いです。乱暴に弾いてよいというお墨付きを得た、とばかりの演奏が増えるとは、彼も予想だにしなかったのではないですか。バルトーク自身、非常に優秀なピアニストでした。今日でもバルトークの演奏はCDで聴くことができます。立派なテクニックの持ち主です。

 

打楽器の演奏上もっとも特徴的なのは逃げる動作です。茶碗を箸でたたいて音を出してみたらすぐに分かります。これはピアノ演奏上でたいへん重要なことですから、頭に残して先を読んでください。