演奏評をちょっと覗いただけでも、音が大きいというのをほめている文章に出会います。

 

それの是非を言うよりも、なぜ音が大きいと良しとされるかを推察します。

 

そんなに難しく勿体をつけることではないですね、迫力があるからでしょう。私たちは平穏な世界とともに心を衝き動かされるものを求めてもいる。アポロ的なものとデモーニッシュなもの、これはいつの時代にも併存しているのでしょう。

 

さて、大きな音の前に、大きな声と強い声(強い調子)はまったく別なものだというのはすぐ分かると思います。

 

酔っ払いの大声を力強いと感じる人はいない。どすの利いた声には、それが小さくても震え上がる。信念を持って語られた言葉は誰にでも一種の迫力をもって伝わる。

 

こうした日常の体験を振り返れば音量が大きいことと迫力とは必ずしも一致しません。

 

ただし、迫力には音量は必須ではないということと音量を求められてもいる、ということは別のことです。

 

抽象的に語ると分かりにくいと思いますが、弦楽四重奏は心に迫る表現が可能であるにもかかわらず、作曲家は交響曲も書きたい、という単純な事実を考えてください。すぐれた四重奏を書いた作曲家はまた、交響的な作品も書いています。

 

ピアノという楽器は、その見かけと一応音が出てしまう特性上、いくらでも大きな音が出るように思われています。

 

でもそれは大きな間違いです。ピアノにも音量のリミットはあるし、一般に思われているほど大きな音が出るわけではないのです。

 

ただし、下部雑音は限りなく増大できる。当たり前です。それを本当に試してみたかったら弦を取り払って弾いてみたらよい。おそらくほとんどの人はそのような音を体験したことがないでしょうが、力任せに弾かなくても、ふつうに弾いてもショッキングな音です。

 

鍵盤に、重いものを高いところから落とせばこのショッキングな音は当然増大します。弦が張ってある場合だと、雑音が出る直前に音が出ているわけですから(これについては何度も触れましたね)もちろんピアノの音として私たちは聞きます。

 

しかしその音は前述の酔っ払いの声と同じように、ちっとも力強く働きかけてこない。これは耳が慣れてきたら誰にでも分かることでもあります。ただし、慣れにまでなるにはそういった音にいつでも接していることが大切です。

 

この例のように音の大きさばかりに耳がいくのでは、いつまでたっても音の質に到達はしないでしょう。ピアノという楽器が、それがないと困るにもかかわらず、ほかの楽器から一種異端視されている状況は変わらないのではないですか。